田中 肇 研究グループ

TOPICSトピックス

ソフトマターや液体は、我々人類にとって重要な物質の存在様式であるにもかかわらず、その物理的理解はその複雑性と秩序の欠如のために、固体状態などに比べ大きく遅れているのが現状である。われわれの研究グループでは、単純液体ならびにソフトマターを対象として、これらの系が共に内包する時空階層性に焦点を当て研究を行い、現象を支配する統一的な物理描像を描くとともに、液体・ソフトマター物理学に新しい展開をもたらすことを目的として研究を行っている。具体的には、ソフトマターにおける非平衡相転移現象、液体が流体力学的相互作用を介してソフトマター・生体系の動的な挙動に及ぼす影響、ガラス転移現象、結晶化、水型液体の熱力学・運動学的異常、単一成分液体の液体・液体転移現象の起源、液体・ガラス状物質の非線形流動・破壊現象などの解明を目指している。

水の異常性と結晶化

水は,4℃で密度が最大になる,結晶化すると体積が増えるなど,他の分子性液体には見られない極めて特異な性質を示す。このような異常性は古くはレントゲンの時代から認識され,それ以来1世紀以上にわたりその起源をめぐり論争が続いてきた。我々は,その起源が,液体中に局所的に形成される正4面体的構造とより乱れた構造という2種類の構造の動的な共存にあることを主張してきた。また,最近、水にはこのような2状態の協同的生成に起因した液体・液体転移が存在する可能性が高いものの,その臨界性は,現実の液体状態の水の物性にはほとんど影響を与えないことも示した。この2状態性という単純液体にはない自由度こそが,様々な環境因子に応じてその性質を変幻自在に変えるという,水の特異な性質の起源であると言うことができる。本研究では、水の液体としての性質のみならず、イオンまわりの水和、バルクにおける結晶化の素過程、さらには、空気界面、固体表面における水の構造秩序化とその結晶核形成の影響についても研究を行っている。また、水と同様に正四面体構造を形成する傾向を持つシリカ、シリコン、ゲルマニウムについても研究を行っている。

H Tanaka, Journal of Non-Crystalline Solids: X 13, 100076 (2022).
R. Shi, H. Tanaka, Proc. Natl. Acad. Sci. 117 (43), 26591-26599 (2020).

水の二状態:局所安定正四面体構造と乱れた構造

ガラス転移

ガラス転移点近傍の遅い構造緩和の起源については、これまで様々な観点から議論されてきたが、未だにその起源は未解明である。我々は、温度低下とともに液体中に局所的に自由エネルギーを下げる方向秩序が形成され、その相関長の増大が活性化エネルギーの増大を招き、その結果、構造緩和がガラス転移点近傍で劇的に遅くなるというシナリオを主張している。このような方向秩序は、多くの場合散乱実験でアクセス可能な密度の二体相関で検出することは困難である。したがって、従来の液体論に反し、過冷却液体の記述には、密度のほかに多体的な方向秩序化を特徴づけるもう一つの秩序変数が必要であるということになる(二秩序変数モデル)。このことは、液体状態は、たとえ剛体球液体のような単純液体であっても、密度のみでは一意的に指定できないことを意味する。これまで、このような過冷却液体の方向秩序化は、ガラス転移のみならず、結晶化にも多大な影響を与えることを示してきた。本研究では、このような液体の方向秩序化がもたらすガラス転移点近傍の過冷却液体のダイナミクスへの影響を微視的観点から明かにするとともに、ガラス転移点以下のエイジングなど固体的な状態での間欠的なダイナミクスの解明を目指している。また、低温のガラス状態は、結晶にくらべ過剰な振動状態密度を示すなど、結晶とは大きく異なる熱的・力学的性質を示すことが知られている。その起源の解明も大きな目標の一つである。

H. Tanaka, J. Non-Cryst. Solids: X 13, 100076 (2022).
H. Tanaka, Eur. Phys. J. E 35 (10), 113 (2012).
H Shintani, H Tanaka, Nat. Mater. 7 (11), 870-877 (2008).

過冷却液体に形成される過渡的方向秩序

結晶化

これまで、液体は均一かつ等方的で、密度のみで記述されると考えられてきた。従来の結晶化に関する理論、例えば、古典核形成理論や密度汎関数理論はこのような前提に立ち構築されてきた。しかしながら、上述のように、液体は局所的なパッキングを上げエントロピーをかせぐ(エントロピー起源)、もしくは方向性結合によりエネルギーを利得する(エネルギー起源)事で自由エネルギーを下げようとする。すなわち、多体的な相互作用により局所的に方向秩序化する傾向がある。特に結晶化しやすい液体では、過冷却液体において、結晶と同じ対称性を持った方向秩序化が進み、これが結晶核形成への前駆体として働くことを発見した。この過冷却液体における前駆体形成は、結晶・液体界面の界面エネルギーを大きく下げる効果があり、その結果結晶核形成は前駆体から生まれることになる。このような結晶核形成の機構の微視的な解明に加え、このような前駆体形成が結晶成長機構、更にはガラス形成能の支配因子にどのような影響を与えるかついても研究を行っている。

J. Russo, H. Tanaka, J. Chem. Phys. 145 (21), 211801 (2016)


過冷却液体の古典的描像と前駆体に誘起された結晶核形成過程


液体・液体転移

従来、液体は秩序のない乱雑な構造を持つと考えられ、そのため、純粋な一成分からなる物質には、1つの相しか存在しえないと考えられてきた。しかし近年、水や亜リン酸トリフェニルをはじめとしたいくつかの物質で、局所安定構造の形成に伴い異なる2つの液体相の間の相転移、すなわち液体・液体相転移が起こることが報告されてきている。我々は、液体の記述には密度に加え、液体中に形成される局所安定構造の分率を記述する第二の秩序変数であるボンド秩序変数が必要であるという2秩序変数モデルを提唱してきた。このように、二つの秩序変数があれば、単成分からなる液体に二つの臨界点が存在することは自然に説明できる。気体・液体転移は密度について相転移、液体・液体転移は、ボンド秩序変数についての気体・液体的な相転移として自然に説明可能である。我々はこの理論を発展させるとともに、分子動力学的シミュレーション、分子性液体についての実験などを用い、液体・液体転移現象の微視的な解明を目指し研究を行っている。

H. Tanaka, J. Chem. Phys. 153 (13), 130901 (2020)

亜リン酸トリフェニルにおける液体・液体転移過程:(上)核形成成長型(下)スピノーダル分解型

ソフトマター特有の相分離:粘弾性相分離

相分離現象は、応用上は様々な材料における不均一構造形成の手段として、また基礎的には相転移現象の中心的な問題として盛んに研究されてきた。その結果20世紀後半には、相分離構造がどのような機構で成長するかに関してすでに基礎的な理解が得られ、現在では教科書的な知識となっている。例えば、両相の組成比が90:10など非対称な場合は、少数相は球状の液滴(ドロップレット)を形成する。このようなドロップレットは物質の拡散や、ドロップレット自身の熱運動に伴う衝突・合体などにより成長すると考えられてきた。こうした中にあって我々は、高分子溶液系において、相分離の過程で高分子鎖が絡み合いながら互いに引き合う結果、相分離に伴う変形下で高分子リッチ相が弾性的に振る舞い、そのため拡散が強く抑制され、相分離に劇的な影響が現れることを発見した。我々はこの現象の本質が、相分離により誘起される歪変形速度場と系のレオロジー的緩和時間(構造緩和時間)の間の粘弾性緩和現象にあると考え、「粘弾性相分離」と名づけた。このような成分間の「動的非対称性」の影響下では、相分離のダイナミクス、ゆらぎの臨界ダイナミクスは、どちらものろまな成分(例えば、高分子溶液系では高分子鎖)の遅いダイナミクスに強く影響され、その結果、通常の流体系(液体混合物)とは著しく異なるふるまいを示す。より直感的には、ある条件下で系はゲル的にふるまいそれが相分離に劇的な影響を与えると言うことができる。また我々は、動的非対称性が粘弾性相分離の鍵であるという観点からその普遍性に関する研究を行い、高分子溶液系のみならず、ガラス転移点の異なる系、コロイド分散系、蛋白質溶液系、膜系においても同様の相分離現象がみられること、すなわち、粘弾性相分離が動的非対称系に普遍的にみられる相分離現象であることを明らかにした。このような相分離様式は、細胞内相分離など生体系においても重要と考えられ、その物理的な機構の解明を目指し理論、実験の両面から研究を行っている。

H. Tanaka, J. Phys.: Condens. Matter 12 (15), R207 (2000)
H. Tanaka, a Lecture Note for les Houches 2012 Summer School on "Soft Interfaces"
M Tateno, H Tanaka, Nature Communications 12 (1), 912 (2021).


高分子溶液における粘弾性相分離過程


ソフトマターにおける流体力学的効果

ソフトマターは、液体、高分子、液晶、両親媒性分子、コロイド、たんぱく質など、物理学・化学・生物学・材料科学の分野にまたがる学際的な性格をもつ重要な物質群として近年大きな注目を集めている。その特徴は、液体成分を最低次階層とする幾重にもわたる動的階層構造にあり、そのソフトさは、大きくてのろまな高次階層による力学物性支配の帰結である。その物理・化学・生物学的な機能の特質は、たんぱく質に代表されるように、大きな自由度を階層的に内包した系(多自由度・階層系)に特有な協同的機能発現の様式にある。我々は、これこそが生体物質が一見のろまながら多様かつ優れた機能を効率的に発現する鍵であると考えている。このような協同的な機能の発現は、従来型材料の最も不得意とするところであった。この協同性、即ち階層間の動的結合を担う最も本質的かつ重要な因子は、ソフトマターの最低次階層をなす液体(流動性と液体自身の内包する動的階層性)である。しかしながら前者は非局所性に起因した困難のため、また後者はその重要性が正しく認識されてこなかったため、その具体的役割は未解明のままである。そこで本研究では、多自由度・階層系における動的結合と協同的機能発現の基本原理を明らかにすべく、多体的長距離相互作用である流体力学的相互作用の役割に着目して、我々が独自に開発した流体粒子ダイナミクス法などを駆使して研究を行っている。

H. Tanaka, T. Araki, Phys. Rev. Lett. 85 (6), 1338 (2000).
R. Shimizu, H. Tanaka, Nat. Commun. 6, 7407 (2015).

流体中の粉体において駆動粒子に誘起された流れ場

ソフトマター・無秩序物質の非線形力学挙動

ソフトマターや、過冷却液体、非晶質固体は、外部変形に対して強い非線形応答を示す。これらの物質系の非線形力学的応答、破壊機構は十分に理解されているとはいいがたいのが現状である。われわれは、これらの非線形な力学応答を巨視的に記述には、不安定化に伴い不均一化を示す秩序変数と系の力学的性質を特徴づける粘弾性パラメータの結合が重要であると考えている。このような結合は、系の力学的性質が高分子濃度あるいは密度といった保存量である秩序変数に強く依存すること(動的非対称性)に起因して生まれる。この機構は、上述の粘弾性相分離の機構と物理的には同じである。このような考え方を基礎に、秩序を持たない系の非線形力学応答のぶつりてきな機構を研究するとともに、その微視的な裏付けを行うべく研究を行っている。

A. Furukawa, H. Tanaka, Nat. Mater. 8 (7), 601-609 (2009).

ずり変形下における密度揺らぎの増幅過程

その他の研究テーマ

サーモトロピック液晶・リオトロピック液晶の相転移とダイナミクス

サーモトロピック液晶・リオトロピック液晶の示す相転移、パターン形成、トポロジカル欠陥などに関する研究

T. Araki, F. Serra, H. Tanaka, Soft Matter 9, 8107-8120 (2013).
Y. Iwashita, H. Tanaka, Phys. Rev. Lett. 98, 145703 (2007).

荷電コロイドの電場応答

荷電コロイドの電場下における応答を流体力学的自由度、イオンや塩の自由度、イオンの解離の自由度など、複雑な自由度間の競合を取り入れたモデリングの構築と応用

T. Araki, H. Tanaka, Europphys. Lett. 82, 18004 (2008).
K. Takae, H. Tanaka, Soft matter 14 (23), 4711-4720 (2018).

新しい光散乱法の開発と応用

新しい原理に基づく光散乱法「位相コヒーレント光散乱法」の開発とモード選択分光の実現とソフトマター研究への応用

H. Tanaka, T. Sonehara, and S. Takagi, Phys. Rev. Lett. 79, 881 (1997).
S. Takagi and H. Tanaka, Phys. Rev. E 81, 021401 (2010).

主な進行中プロジェクト

1.社会連携研究部門「着霜制御サイエンス」


着霜とは、0℃以下に冷却された固体表面に水蒸気が凝固し、直接氷の結晶として成長する、または、温度降下とともに固体表面にまず水蒸気の凝結により水滴が形成され、その後基板上に氷の結晶核が形成され、それが成長することにより霜状の構造が形成される現象をさす。この現象は、自然界に広くみられる極めて日常的な現象であるにも関わらず、その物理的な理解は十分とは言えない。この着霜現象は、自然現象のみならず、工学的・社会的にも極めて重要な現象である。例えば着霜は、透明なガラスの光学的な透過度の低下を招く、熱交換機の熱効率の著しい低下をもたらす、コンクリートにダメージを与える、航空機の安定な飛行を困難にするなど、様々な深刻な問題を引き起こすことが知られている。そこで、本連携講座では、この着霜という非平衡現象の物理的な機構に、ミクロからマクロわたる新たな階層的な視点から迫ることで、この現象の基礎的な解明をはかり、上記のような深刻な問題の解決のための基本的な物理的指針を確立することを目指す。

固体表面における氷の不均一核形成


2.特別推進研究「非平衡ソフトマター・アモルファス物質の物性解明への力学的自己組織化からの挑戦」


ソフトマター、アモルファス物質に代表される周期構造を持たない物質は、結晶とは大きく異なる特異な力学的性質(弾性、降伏・破壊挙動、成型加工性)、熱的性質(比熱、熱伝導特性)を持ち、様々な分野で人類に大きく貢献してきた。これまでの不規則系の構造の研究は、粒子の重心配置構造を軸に行われてきたが、いまだにその構造的特徴は未解明であり、混沌とした状態が続いている。そのため、構造・物性相関の基礎的理解は、結晶に比べ大きく遅れている。我々は、この問題の解決の鍵は、「一見動きがなく固体的に見える構造においても、非平衡状態においては、運動量保存則が系の状態の決定に深く関わっている」点にあると確信するに至った。そこで、従来のアプローチを大きく転換し、「系全体にパーコレートした力学的ネットワークの自己組織化」という全く 新しい運動学的視点から、熱力学的・運動学的アプローチを融合することで、ガラスやゲルに代表される非平衡な固体状態にある物質の構造的特徴、さらには、これらの物質が示す普遍的かつ特異な力学的・熱的物性発現の物理的機構の解明に挑戦する。

ガラス転移に伴う安定な力のネットワークの形成

Newsお知らせ

2022.02.08
ホームぺージをリニューアルしました
2021.11.17
「ガラスの安定化への新たな道」がプレスリリースに掲載されました.
2021.11.02
「界面活性剤の作る玉ねぎ構造に隠れた欠陥を発見」がプレスリリースに掲載されました.
2021.06.30
「結晶はどのようにして姿を変えるのか」がプレスリリースに掲載されました.
2021.06.16
「球形コロイド粒子の回転運動に迫る」がプレスリリースに掲載されました.
2021.05.07
「ガラスのドミノ倒し的結晶化」がプレスリリースに掲載されました.
2021.02.10
「ネットワーク状の相分離構造の新たな成長則を発見」がプレスリリースに掲載されました.
2020.12.12
「何が合金をガラスになりやすくしているのか」がプレスリリースに掲載されました.
2020.10.13
「水の特異性の起源と臨界現象」がプレスリリースに掲載されました.
2020.10.08
「コロイドやたんぱく質の新しいゲル化様式」がプレスリリースに掲載されました.
2020.09.25
「ガラスはなぜ固いのか」がプレスリリースに掲載されました.
2020.09.22
「小さな球の中で結晶はどのようにできるか?」がプレスリリースに掲載されました.
2020.07.02
「結晶化過程で安定な結晶はどのようにして選ばれるか?」についての研究成果がプレスリリースに掲載されました.
2020.06.03
「引力相互作用は過冷却液体の構造を変える」についての研究成果がプレスリリースに掲載されました.